作者・画工 | 中野幸吉(吉原,成八幡支店 元楼主) |
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員数 | 1式 |
コマ数 | 原稿用紙241枚,図1枚,メモ2枚,新聞記事1枚 |
備考 | 明治27年に洲崎遊廓で生まれ,吉原遊廓に移転,昭和16年まで妓楼の楼主として吉原地区の役員も務めた中野幸吉氏の手記. 明治27年から昭和40年代にかけての自身の生い立ちや,大正から昭和にかけての吉原遊廓の様子などについて記述されている. 2021年4月,遺族より法政大学江戸東京研究センターへ寄贈. 【内容】 1,「私の八拾年(成八幡支店楼主)」(原稿用紙21枚) 2,「我家の変遷と両親の臨終(洲崎遊廓~吉原)」(原稿用紙12枚) 3,「銀座想い出の記」(原稿用紙12枚) 4,「稲村ヶ崎在住八〇年松島邸の想出(成八幡別荘)」(原稿用紙7枚) 5,「松島家の古いはなし」(原稿用紙5枚) 6,「お米さん」(原稿用紙4枚) 7,「廓よもやまばなし」(原稿用紙11枚) 8,「廓うらばなし様々」(原稿用紙9枚) 9,「根津遊廓が洲崎へ引越した時の話」(原稿用紙4枚) 10,「明治丗七,八年頃の洲崎遊廓の略図」(図1枚) 11,「影法師(取り調べ)」(原稿用紙7枚) 12,「影法師-補足」(便箋3枚) 13,「昭和四拾九年九月丗日(大パノラマ館について)」(原稿用紙3枚) 14,「昭和四拾九年九月丗日-補足」(メモ1枚) 15,「吉原遊廓出身又は関係のあった異色ある人々」(原稿用紙4枚) 16,「戦後三十年(東京大空襲について)」(原稿用紙11枚) 17,「江幡静夫の全国廃娼大会潜伏記」(原稿用紙5枚) 18,「忘れ得ぬ感激の送別会(遊廓廃業)」(原稿用紙3枚) 19,「演歌の添田亜蝉坊」(原稿用紙3枚) 20,「福地桜痴(洲崎の引き手茶屋・糸八幡の客について)」(原稿用紙7枚) 21,「福地桜痴居士のことなど」(原稿用紙2枚) 22,「まちの音 まちの声」(原稿用紙5枚) 23,「まちの音 まちの声-補足」(新聞記事1枚) 24,「NHKへ投書(大門の呼び方について)」(原稿用紙2枚) 25,「電々台東文芸同好会の方々~(様々、呼び名について)」(原稿用紙4枚) 26,「昔の歌のいろいろ」(原稿用紙19枚) 27,「続昔の歌いろいろ」(原稿用紙4枚) 28,「昔の子供の遊び種々」(原稿用紙6枚) 29,「もっと書きつづけよう(菓子について)」(原稿用紙5枚) 30,「甘い物のはなしあれこれ」(原稿用紙7枚) 31,「古い日記帳から(一)(廃業前、家族について)」(原稿用紙8枚) 32,「古い日記帳から(その二)(廃業について、娼妓・雇い人)」(原稿用紙9枚) 33,「チェーンストア昔ばなし(牛屋のいろは等)」(原稿用紙3枚) 34,「墜落した永代橋(亡父の昔話)」(原稿用紙3枚) 35,「今は昔懐しい奥山界隈の想出」(原稿用紙6枚) 36,「久しぶりで会った田中氏の話(吉原その後の噂話)」(原稿用紙3枚) 37,「門跡さま」(原稿用紙11枚) 38,「江戸時代よし原の因果話その他-補足」(メモ1枚) 39,「江戸時代よし原の因果話その他」(原稿用紙16枚) |