■開催日時:2019年9月21日(土)14:00~
■会場:武蔵御嶽神社 神楽殿
<アクセス>JR御嶽駅からバスで10分(終点下車),ケーブルカー滝本駅からケーブルカーで6分,御岳山駅から徒歩で30分
■問い合わせ先:神谷 博,suikei@jcom.zaq.ne.jp / 090-1429-4796
■プログラム
<第一部>14:00
「玉姫神楽」奉納/神楽ユニット 珊月花
重忠の娘とされる玉姫の伝承に基づく創作神楽
<第二部>14:30 – 16:00
対談:重忠奉納の赤糸威大鎧をめぐって
金井 國俊/武蔵御嶽神社前宮司
馬場 憲一/法政大学名誉教授
セミナー進行:神谷 博/法政大学兼任講師
主催:法政大学江戸東京研究センター,法政大学エコ地域デザイン研究センター
協力:武蔵御嶽神社
後援:多摩川流域懇談会
【講師プロフィール 】
◆ 金井 國俊/武蔵御嶽神社前宮司 宿坊御岳山荘を営む 著書として歌集「太占(ふとまに)」
◆馬場 憲一/法政大学名誉教授 法政大学エコ地域デザイン研究センター客員研究員 武蔵御嶽神社及び御師家古文書学術調査団 団長
◆神谷 博/法政大学江戸東京研究センター及び エコ地域デザイン研究センター客員研究員
【演者プロフィール 】
◆珊月花/ハナヲ 、月弧、さんごによる神楽ユニット
ハナヲ:雅楽、現代音楽、作曲、編曲
月弧:ネイティブアメリカンフルート奏者、作詞、作曲
さんご:舞踏家 Sango Saria
総合プロデュース/はるく
武蔵御嶽神社と畠山重忠
1.御嶽神社の国宝「赤糸威大鎧」
御嶽神社には国宝となっている赤糸威大鎧(アカイトオドシオオヨロイ)があり、畠山重忠が奉納したとされている。
重忠は鎌倉初期の武将であり、中世の鎧を知るうえで貴重なものとされている。
江戸時代には、8代将軍徳川吉宗がこの鎧に関心を持ち、二度に亘り江戸城に借り出して詳細な調査をしたという。
吉宗の鎧研究の記録は、江戸時代の絵巻物などに描かれる鎧デザインのモデルとなったという。
2.中世武士の山岳信仰
重忠は何故この鎧を武蔵御嶽神社に奉納したのか。
当時は、保元・平治の乱を経ていたるところで戦乱が起き、世の中は混乱し、人々の心は疲弊していた。
社会不安が高まる中で多くの宗教が勃興し、後にこれらが鎌倉仏教として確立していく。
当時、多くの武士が頼ったのが、隆盛になっていた御嶽などの山岳信仰だった。
3.重忠の妙見信仰と鉄
秩父平氏の一族である重忠は、平氏由来の山岳信仰である妙見大菩薩を仰いでいた。
秩父は銅をはじめとする鉱産物に恵まれており、丹党の本拠地となっていた。
丹党は製鉄集団としての性格を持ち、武器調達に重要な役割を担っていた。
重忠は丹党に近しい在地領主として農や牧を基盤とするだけでなく、広域にわたる鉱業開発領主でもあったとみられる。
4.山の神と田の神
武蔵御嶽神社は日本武尊の東征にまつわる由来がある狼を眷属として祀っている。
山岳信仰において狼が果たす役割は大きく、大神として山の護り主とされる。
一方、水田の護り神は水神であり、蛇や龍がその象徴とされる。
山と田は一体であり、玉姫伝承においても、玉姫は入水して大蛇に変化し、恋人の大青(オオセイ)は狼に変化する。
5.玉姫伝承と常世の玉姫
玉姫伝承は、山梨県小菅村余沢の横瀬家(秩父、丹党の家系)に鎌倉初期から代々口伝で伝えられてきた。
伝承によれば、玉姫の父親は源頼朝に仕えた畠山重忠とされている。
重忠は怪力無双、且つ人格、容姿に優れ、音曲の才にも恵まれ、武蔵武士の鑑と評される人物である。
頼朝に信頼され、子の家頼の後事を託されたが、権力闘争の中、北条氏の陰謀により討たれた。
玉姫にも討手が迫り、小菅村まで逃避するも、翌年の春、討手に追いつかれて常世に旅発った。
その地は、玉川源流の池の平であり、玉川の名の由来は玉姫とされている。
玉川の御嶽神社と重忠の縁をもとに、玉姫の想いに寄り添ってみたい。
(神谷 博)