シンポジウム・研究会等報告

2024年2月15日「東京湾シンポジウム」開催報告

  • 更新日:2024年03月14日

江戸東京の大きな特性として、東京湾の存在があります。世界において、江戸東京と同様に大河川の存在が核になっている大都市は、ロンドンやパリ、ソウルなど数かず思い浮かぶものの、なかでも同時に大きく海に面しているところとしてニューヨークやボストンはありますが、湾という江戸東京の地形はなかでも特徴的といえます。

 ところがこの都市の研究においては、陸上部分にばかり光が当てられてきました。そこでシンポジウムで、その東京湾を中心に据えて考えてみようということで立てたのがこの企画です。この都市に住む人びとが眼前の海辺をどのように見、どのように利用し、つき合ってきたか、都市史、美術史、地図史と文理の垣根を越えてさまざまな分野の専門家による最先端の研究成果を交差させてみようというのがねらいです。

 

まず当センター特任教授の陣内秀信氏が「東京臨海部の空間史―形態・機能・意味の視点から」と題する基調講演を行いました。世界の他の都市と較べても特徴的な、遠浅で絶好の漁場でもある海湾の奥にあるという江戸東京の地理的特性を押さえ、前近代から埋立と舟運による物流システムの構築によって水辺を利用し、漁業や祭礼その他さまざまな生活文化を発達させてきたことがまず紹介されました。明治に入って東京築港計画が断念され隅田川口改良事業へ性格を変えた後も、昭和前期にかけて湾の埋立ては続き、運河を挟んで島が連なるように造成された埋立地の間を貨物が艀で運ばれる江戸時代の河岸のような物流空間ができたこと、また1960年代に高度経済成長を実現した裏側で、都市の歴史的・環境的価値が失われ、70年代以降、水の都市の再生の試みは行われてきてはいるが、1995年の都市博中止以後、行政側がグランドビジョンを描くことなく今日に至っているという問題点が指摘されました。ポスト工業化社会において水辺に優れた都市空間を創出してきた欧米都市に対し、遅れをとっているだけに、むしろこれからに向けてさまざまな展望を描き得る、その可能性の萌芽にも言及されました。

 

つづいて美術史、とりわけ浮世絵研究の立場から渡邉晃氏(太田記念美術館)が「浮世絵に描かれた江戸湾と水辺」と題して発表されました。ここ10年来、地形や土木事業に注目した展覧会を手がけられた渡邊氏が、最近出版された『浮世絵でたどる!江戸の凸凹地形散歩』(山川出版社)の成果を生かして、まず分析の俎上に載せられたのは歌川広重晩年の揃い物として名高い「名所江戸百景」です。その全119図中、江戸の台地上に取材する48図のうち崖線沿いが44図、低地71図中水辺を描く図が56図と、はっきりとした傾向が見られ、そこにはおそらく構図上の理由があることを指摘されました。続いて、海岸線に関わる主要エリア ①深川 ②日本橋・築地 ③浅草・向島 ④高輪・品川に分けて、広重はじめさまざまな絵師によるそれぞれを描く多彩な作品を論じながら、とりわけ広重はおおかた地形に忠実に描く傾向がある一方、ときに大胆な加工を行っていることを検証されました。

 

つぎの浮世絵や絵地図を横断的に研究しているラドゥ・レカ氏(香港浸会大学)による「水面下の想像の接触ゾーン――江戸湾の十九世紀地図をめぐって」は、幕末以降、欧米から外国人がやってくるようになると、近世には遠浅の海としてしかほとんど認識されていなかった湾の水深の計測という課題が外国人と日本人の双方から浮かびあがったことに注目された発表でした。科学的測量というだけでなく海防の問題として意識されたことが日本、欧米双方に残された数多くの地図、測量図からあきらかにされました。幕末明治初期において、江戸湾は、日本国内のさまざまなエージェントと西洋のさまざまなエージェントの接触地帯であったと同時に知識の媒介の場であり、実用的、商業的に必要とされた水深測量データが、政治的な意図と絡みあっていたことなどが指摘されました。

 

最後に締めくくりとして久保純子氏(早稲田大学)が「東京湾の海岸線の変化」として13万年前から現代まで、地球史的な時系列で湾の地形の成り立ちや海岸線の変化を概観されました。まず基層として陸のプレートの下に海のプレートが落ちこんでゆくところの堆積物が湾の入り口に高さを形成したこと、氷期と間氷期の変動による海水面の変化があり、数千年前には「奥東京湾」が内陸深く食い込んでいたものが、河川がもたらす土砂によって沖積平野が形成されたこと、かつて内陸まで海であったことが遺物、遺跡からも確認できるなど自然による地形の形成を提示され、その後近世以後埋め立てによって海岸線が変化していったことを紹介されました。それだけに今日、沿岸部には広くいわゆるゼロメートル地帯が分布し、災害に備えた対策がさまざまに行われているものの、以前、脆弱であるという問題を抱えていることなどが論じられました。

 

このあと、全体討論として、センター長の米家志乃布氏をコーディネーターとして、登壇者とフロアからの意見交換が行われ、登壇者のコメントを中心にさまざまな議論がなされました。とりわけ、この都市は危険だけれども、これだけ長らく人が住んできたのはそれだけ恵みも多いからということであり、台地と平野部からなる凹凸や湾内に人工島が点在する地形の特色、そこに築かれた名所、舟運といった遺産や伝統を未来に活かしていくことが提言されました。

このように都市史、自然地理学、古地図研究、美術史と多方面にわたる報告者が諸分野の研究史をふまえた新知見をもちよって考察する文理複眼の有効性が実感されたこともふまえ、東京湾は今後さらに深めていきたいテーマとして、センターをあげてとり組んでいくことを確認したところです。

(高見 公雄)

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