去る6月23日土曜日午後,市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階にて、「江戸東京の「ユニークさ」」研究プロジェクトの本年度第1回目の研究会を実施した。
「江戸東京の名所研究―課題を共有し、可能性を考える―」と題して、ゲストに江戸名所研究をリードしてこられた鈴木章生氏をお迎えし、プロジェクトメンバーからは小林ふみ子が報告した。プロジェクトリーダーによる本研究会の趣旨説明は以下の通りであった。
江戸の名所は、江戸の自然と文化両面にかかわる特徴、すなわちユニークさをあらわす指標であり、当時の人々は都市部から武蔵野の郊外までの広範囲にわたる様々な場所に、独自の魅力を見出していた。江戸の名所は、いかに形成・認識されていたのか。そして、人々は名所を訪れることで、いかなる文化活動を行っていたのか。従来の江戸名所研究の成果をおさえ、今後の江戸の名所研究に必要な論点を考える。
鈴木氏による第1報告は、まさに「江戸東京名所研究の現状と課題」と題するにふさわしい、総論から今後の展望までを提示するものであった。まずは名所研究の対象とその変遷が紹介された。名所そのものだけではなくその表現をも対象とすること、古代より和歌に詠まれる歌枕として発達した名所が、近世に入って実際に訪れてみたい場所として人びとで賑わう地となってゆくこと、近現代になって社会の劇的な変化やそのなかで起きた出来事を記憶するものになること、今日さらにサブカルチャーの聖地巡礼やパワースポットなどとして新たな価値を見出される地が出てきていること。そして、かつて「名所」は時代を追って蓄積されていくものであったの対して、現代になって変化のなかで消費されるものとなっていることが指摘された。
続いて、これまでの研究史を26点の研究書・論文、21点の展覧会図録や一般書を紹介するかたちで研究対象や関心・方法の広がりが紹介された。『江戸名所図会』研究史、都市の形成過程とそこにおける名所のあり方とその変遷、挿絵の解読、名所記述における歴史意識への視点などさまざまな角度から江戸東京名所が研究されてきたことを概観した。
鈴木氏はそのうえで、今後、新たに着目すべき名所を形成する重要な要因として、記念碑の存在を取りあげた。それは事件や出来事だけではなく、社会的・文化的事象の記憶を永続的に記憶するものであり、古くより現代に至るまで作られ続け、とりわけ1990年代、2000年代に多く建立されたという。それを資料として再評価し、研究することで、時代の流行風俗を把握し、あらたな都市の特性を見出しえるという興味深い指摘であった。
第2報告は、小林による「江戸の由緒を探究する意識―大田南畝を端緒として―」であった。狂歌文・狂詩文、黄表紙、漢詩文、そして地誌に至るまで、文芸界で江戸とその名所を主題とする作品をおそらくもっとも多く残した人物として大田南畝に注目し、写本で伝来したその地誌『武江披砂』にうかがえる江戸に対する認識、意識を探った。本書は、当時(天保5・1834年刊斎藤月岑『江戸名所図会』以前)、もっとも総合的に江戸の各地についての記述を集成した菊岡沾凉『江戸砂子』(享保17・1732年刊)をはじめとする世に流布した刊本、写本に漏れた江戸各地についての諸情報を記録したものとされている。
その特徴として2点を指摘した。1つは、いわゆる四里四方や後年に定められる朱引きをはるかに超えた地点が含まれることである。このような広域化は『江戸名所図会』にも見られるが、それに先立ってその傾向を示す早い例といえる。その背景に18世紀後半より文人たちが心中の俗塵を払うべく郊外の散策を盛んに行うようになったことがあろう。2つめに、書物の記載だけでなく、自身で実地踏査して得られた金石文(石碑や鐘銘など)の情報や古老の聞き書きなど多様な情報を収めることである。なかでも江戸の地図や地理に関する書物を編んでいた旗本で故実家の瀬名貞雄の影響を論じ、文献と現地踏査による情報を用いた考証の方法や地理から俗説・風俗におよぶその関心の所在が山東京伝らの考証随筆の濫觴となっている可能性も指摘した。眼前にあるものの下に隠れた由緒・来歴に目を向ける営為が盛んになってゆく契機として着目されてよいのではないかとして結んだ。
1つは歴史学の、1つは文学研究の分野からの研究発表であったが、双方の分野の専門家だけでなくさまざまな関心から、一般の方も含め50名余の参加を得てその後の質疑も活発に行われた。来場いただいた皆さまに感謝したい。
【記事執筆:小林ふみ子(法政大学江戸東京研究センター兼担研究員)】