シンポジウム・研究会等報告

2018年9月29日 研究会「江戸周辺地域の広域支配」「江戸の都市統治と身分制」開催報告

  • 更新日:2018年10月05日

  去る9月29日土曜日午後、市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー3階にて、江戸東京の「ユニークさ」プロジェクトの本年度第2回目の研究会を実施した。江戸のユニークさを考えるうえで、江戸および江戸周辺の統治のあり方について押さえておく必要がある。100万の人口を擁し、多様な身分・階層の人々からなる巨大都市を運営する仕組みについて、本学の日本近世史の研究者2名が報告した。

第1報告、根崎光男「江戸・周辺地域の広域支配-鷹場・留場・江戸十里四方を中心に-」は、これまでの江戸周辺地域の広域支配論で展開された鷹場一元支配論を乗り越えるべく、江戸及びその周辺地域を一体的に捉えた広域支配が多元的・重層的であったことを、「江戸五里四方」「江戸十里四方」という地域枠組みで展開した鷹場支配、江戸城御用物の徴収、留場支配、鉄砲の取締り、鉄砲火薬製造の規制を事例に検討したものである。寛永期になると「江戸廻」、元禄期には「江戸近辺」「江戸近辺五里程」「江戸拾里四方」などのように、鷹場令、鉄砲令、鳶・烏駆除令とかかわって江戸周辺の地域的まとまりが顕在化してきた。享保期には、鷹場復活のなかで鳥見役が管轄した「江戸五里四方御拳場」、鷹匠頭が管轄した「拾里内御留場並新御留場・御鷹匠頭捉飼場」という文言がみられ、留場の復活では「江戸より拾里四方」がその地域的枠組みとなり、御拳場と重なる留場は鳥見、捉飼場と重なる留場は鷹匠頭(実質的には野廻り役)が管轄した。また近世前期からみられた江戸城御用物の徴収は近世前期には江戸周辺の十里四方が対象地域であり、享保期には「御拳場」地域が対象地域となり、その担当は代官の伊奈氏であったが、それが失脚した寛政期からは関東郡代役所内(関東郡代廃止後は勘定奉行所)の鷹野役所が担当した。さらに、享保期の鉄砲令は「江戸十里四方」といった地域的枠組みが登場し、その範囲は江戸日本橋より東西南北五里四方と決定し、その管轄は江戸十里四方鉄砲改役(大目付兼帯)であった。加えて、幕末期に鉄砲火薬製造を統制した領域が「江戸幷近在拾里四方」で、玉薬方役所および代官が管轄した。このように、「江戸五里四方」「江戸十里四方」といった地域的枠組みで展開した広域支配は複数の幕府機関によって担われた多元的・重層的支配であり、その機能は全体として鷹場環境の保全、治安維持、物品調達、防衛などであり、いずれも将軍家・江戸城を支えるものであった。

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第2報告、松本剣志郎「江戸の都市統治と身分制」は、江戸が身分別居住制に応じた身分制支配によって分割支配されていたのみならず、公共空間支配によっても分割されていたことに注目したものである。報告では道奉行を視座に、これと住民としての諸身分、およびその支配役職との関係を問うた。武家の場合、先例主義や御用頼みの関係が身分制支配と公共空間支配との間の緩衝材となって、問題は表面化しなかった。寺院では、とくに大寺院において境内における寺院自治と往還をめぐる身分制支配および公共空間支配とのせめぎあいが問題となった。町方では、市場が往還のうえに成り立つものであったから、その支配をめぐって町奉行と道奉行との競合が鋭く立ち現れた。こうした問題は18世紀半ば頃から次第に顕在化しはじめたから、背景に都市化社会の成立と進展をもっていたとみてよい。「両願」として表現された諸問題は、一面では支配の深化によるものであったといえるが、他方ですでに町人らは往還をはじめとした公共空間の利用と権利をめぐる慣行を成立させていたのであり、これが曖昧な支配管轄を問題化したものと捉えることができる。かくして事態は、道奉行役職の廃止というかたちで決着した。ここには「支配」(身分制支配)と、「懸り」(事物的管轄)とを区別しようとする町人らの認識をみることができる。身分制社会にあって支配管轄の重層を解決しようとしたとき、それは当然、身分制支配を優先させるものとならざるをえなかった。とはいえ公共空間支配自体はなくならなかった。普請奉行による公共空間支配の権限は、道奉行時代に比べて縮小しながらも、江戸の終焉まで存在した。江戸は身分制を体現しながらも、都市であるがゆえに公共空間支配を必要としたのであった。

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今回は日本近世史の手堅い報告で、巨大都市江戸が多元的、重層的に支配されていたことが確認された。報告それ自体は近世の事例の分析であったが、現代の都市空間の管理のあり方との共通点や相違点が指摘され、有意義な質疑応答がなされた。

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当日は台風接近という悪天候にもかかわらず70名近い方々にご参加いただいた。来場いただいた皆様に感謝申し上げます。

【記事執筆:横山泰子(法政大学江戸東京研究センター長)】

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