2019年2月20・21日,シンポジウム「追憶のなかの江戸~江戸は人びとの記憶のなかでどのような都市として再構成されたのか」を市ヶ谷キャンパス・富士見ゲートG602において開催しました。韓国の研究者も含め、2日間で12名の研究発表が行われ、江戸時代の中期から昭和まで、江戸という都市の歴史・地理、またさまざまな風俗などを回顧する言説がどのように行われたのかが多角的に論じられました。
当日は2日間でのべ135名の参加を得て、質疑も活発に行われました。
これによって江戸が都市として成熟してゆく過程で、住人たちにその歴史に対する認識が芽ばえ、その固有性への意識が高まるなかで、さまざまな角度から過去の江戸をふり返る言辞が生みだされたことが確認されました。作者・作家、文人らが文献や記憶・伝承を駆使し、古跡や遺物をたどることで、過去の江戸の地理やそこに生きた人物の足跡、諸事象の故事来歴を事細かに探った過程やその結果を書き残し、ときにさらにそれを文芸作品化していったさまが浮かびあがってきました。
多かれ少なかれそこにある程度共通してみえたことは、江戸という都市の空間や、そこから輩出された人物や生みだされた文化などの歴史について、(事実性・正確さをめざす批判的な検討という意味では、作者/作家によって差異ないし限界はあるとしても)、真摯に調査・探究し、あるいは記録しようとする姿勢であったのではないでしょうか。
シンポジウム終了後に前所長の陣内秀信氏より、(都市の構造や建築がそのまま残る欧州の都市と比べて)「火災や震災でモノが失われることが多かった江戸東京では、こうして都市の記憶が紡がれ、共有されていったことがよくわかった」という感想が寄せられました。こうした営為による都市のアイデンティティ形成そのものが、江戸東京の、あるいは日本の都市の特徴といえるかもしれません。
またその考究の対象には、都市のモニュメントとなるような建築・構造物や隅田川のような象徴的な地形もあるいっぽうで、小さな地名の一つひとつ、身分階層や活躍した分野の雅俗を問わない先人たち、さまざまな名物や物売りにまで及んでいたことも注目されます。国内の他の都市では似たようなことがあるのか、時代を超えた比較、欧州や東アジアの首都などとの比較で考えてみたい事象です。江戸東京の「ユニークさ」は、こんなところにもかいま見えてきました。
本シンポジウムの成果は、2019年度中に刊行する予定です。
【報告者とテーマ】
2月20日(水)
真島 望(成城大学)「菊岡沾凉著『本朝世事談綺』考-享保期江戸の風俗考証-」
小林 ふみ子(法政大学)「大田南畝と武家故実家瀬名貞雄の考証」
有澤 知世(国文学研究資料館)「山東京伝と元禄歌舞伎」
神田 正行(明治大学)「馬琴の江戸地理考証」
金 美眞(ソウル女子大学)「近世期の日本人と朝鮮人の目で見た<江戸像>」
2月21日(木)
阿美古 理恵(国際浮世絵学会事務局)「考証随筆のなかの師宣と一蝶」
佐藤 悟(実践女子大学)「千年飴をめぐる諸問題-柳亭種彦の考証随筆-」
中丸 宣明(法政大学)「明治における考証随筆」
合山 林太郎(慶應義塾大学)「近世・近代の漢詩文における江戸の<名所>と<風景>」
出口 智之(東京大学)「近世絵入り文芸の残照-近代口絵・挿絵に残る江戸-」
大塚 美保(聖心女子大学)「鴎外歴史叙述に見る<江戸>の座標系」
関口 雄士(法政大学)「石川淳の<江戸留学>」