シンポジウム・研究会等報告

2019年11月21日 研究会「東京首都圏のグラフィティとストリートアート」開催報告

  • 更新日:2019年12月16日

「東京首都圏のグラフィティとストリートアート」
 発表者:山越英嗣(早稲田大学人間科学学術院助教)
 コメンテータ:関根康正(元関西学院大学教授、神奈川大学アジア研究センター研究員)

 「落書き」を意味するグラフィティは、1970年代のニューヨークで若者たちに爆発的に広まったムーブメントであり、コミュニティ内部にはさまざまなルールがあった。グラフィティ・ライターたちは、タグと呼ばれる自分のサインをできるだけ美しく多くの場所に書き、自分の存在をアピールした。人のタグの上に自分のタグを書くのは挑戦ともいえる行為であり、より上手にタグを書ける人のみに許された。都市に暮らす仲間同士のコミュニケーションだったともいえる。当初は移民の若者が中心であったが、後には白人の若者にも広がり、世界各地に波及した。
 日本では、90年代に入ると、落書きに関わる新聞記事がぐんと増えることから、この時期に流入したようだ。グラフィティ・ライターのコミュニティが拡大し、スプレー缶などの用具を売る専門店ができて、そこを介して情報交換が行われた。一方、落書きが社会問題化されるようにもなった。横浜桜木町の国道16号線沿いの高架下の壁には当時多くのストリートアーティストやグラフィティ・ライターたちが描く(書く)ようになり、グラフィティの「聖地」と呼ばれた。この地では70年代からアーティストによる創作活動は行われていたが、グラフィティが本格化するのは90年代である。
 グラフィティはもともと公共物に不許可で絵や字を描(書)くことから始まっているが、その中から芸術家に位置付けられる作家が出てきたり、それらを広告に利用しようとする企業も出てくる。その一方で、それらを迎合主義として自由な絵や字を描(書)く営みを守ろうとする人々もいる。グラフィティを排除しようとする市役所などとの仲介をして、グラフィティ・ライターに街の景観作りに一役買ってもらおうというNPOも登場するが、一定の壁を用意して有名なライターに書いてもらおうとしたり、住民の意見を取り入れる要望を出したりするために、自由に描(書)けないというライター側の警戒心がとけず、このNPOの活動は停滞している。一方で、桜木町の壁は行政上の措置により、現在は白く塗られて、「落書きは器物損壊に当たる」という市役所の掲示が掲げられた。
 グラフィティが書かれるところは、隙間や建物と建物の間など、ちょっと奥まった隙間のようなところが多い。ボードリヤールは、グラフィティは意味の集積である都市に意味のないものを投げて壊す、「からっぽの記号表現」であると述べている。ストリートは、管理社会が強まる中で自律的な空間を提供し、排除よりは結合へと向かう運動の場となっている。

 コメンテータはこの発表を現代的かつグローバルな文脈に置きなおす解説を行った。コメンテータは、10年以上にわたり、ストリート人類学の立場から、ストリートに現れた現代社会のグローバル現象を考察する研究会を行ってきた。グラフィティはニューヨークで始まったが、世界中の先進諸国の都市に瞬く間に広がった現象である。脱領土化した近代化の中で、管理社会が次第に姿を現してきた。汚いもの、ルールから外れるものが排除され、国民主権から国家独裁への移行の傾向が強まってきている。しかし、ストリートこそは、異なる人々が出会い、交渉し、自律的なものを作り出す場であり、可能性を探し出す場である。グラフィティは、そのようなストリートのエッジを見えるようにするものであり、ストリート・エッジを探すフィールドワークが我々にはますます必要となってきている。(文責:山本真鳥)

 

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