2019年12月14・15日、法政大学市ヶ谷キャンパスにて「歌舞伎学会秋季大会」が江戸東京研究センターとの共催として開かれました。今年度の大会企画は「歌舞伎の江戸東京―都市空間と劇場街」と題し、江戸東京における芝居町/劇場街の空間的な意味を多様な資料から考察することを目的としました。
最初に仲光克顕氏(東京都中央区教育委員会・中央区立郷土天文館)の講演「江戸の歌舞伎と考古学」により、発掘調査の結果、芝居町に関する遺構・遺物が発見されたことが豊富な写真とともに説明されました。墨書が入った食器類や高級な食器類、芝居小屋の入場札など、歌舞伎関連の考古資料は歌舞伎研究者たちに大きな感動を与えました。これまで歌舞伎研究は文献や絵に頼りがちでしたが、近世考古学の成果によって「物」を対象とした新たな研究の可能性があることが示されました。
続いて、光延真哉氏(東京女子大学)による報告「江戸の芝居町」では、江戸の芝居町の変遷史、地図や稀覯の芝居細見などから二丁町の様子が示され、江戸の芝居町が町人地の端、商業圏に隣接していたこと、川の近くにあったことが述べられました。
佐藤かつら氏(青山学院大学)の報告「明治の劇場街」は、法令史をふまえたうえで、明治期東京に設立された劇場の変遷を地図と表で視覚化し、劇場にでかける人々の行動や交通手段についての例を示しつつ、劇場街の空間を考えるものでした。
最後に児玉竜一氏(早稲田大学)の「江戸東京と他都市の芝居町空間」は、文政8年(1825)の番付によれば日本全国に130の劇場があり、昭和46年(1971)の『農村舞台の総合的研究』(角田一郎編)でも農村舞台が3000あったというかつての圧倒的な数を前提に、日本全国の芝居町を考える必要があること、そうした劇場が後に映画館に転じたがゆえに、芝居町と劇場の研究は映画館の調査も視野に入れてなされるべきという大きな問題提起がなされました。
光延氏、佐藤氏、児玉氏による座談会では、観客の特定の劇場に対する忠誠心、劇場が水辺にあったことの意味、今後の研究課題などについて様々な話題が扱われ、充実した1時間となりました。なお、大会企画の記録は歌舞伎学会の雑誌『歌舞伎 研究と批評』66号に掲載される予定です。(座談会司会担当 横山泰子)