シンポジウム・研究会等報告

2020年10月24日 研究会「東京の新名所 史蹟と銭湯」開催報告

  • 更新日:2020年11月02日

研究会「東京の新名所 史蹟と銭湯」

「近代東京における史蹟保存事業とその周辺」
 発表者:斎藤智志(秋山庄太郎写真芸術館主任学芸員)
 コメンテーター:米家志乃布(法政大学文学部教授)

「ご近所のぜいたく空間“銭湯” 現状と可能性」
 発表者:栗生はるか(江戸東京研究センター客員研究員)
 コメンテーター:岡村民夫(法政大学国際文化学部教授)

開催報告

 昨年度末に開催予定だった「江戸東京のユニークさ」研究プロジェクトの研究会を、約半年遅れで開催することができました。当日の参加者は、71名でした。

 今回はこれまで積み重ねてきた江戸東京の名所に関する研究会の節目として、「新名所」というテーマを設定しています。

 斎藤智志氏(日本近現代史)による発表「近代東京における史蹟保存事業とその周辺」では、近代東京における史蹟保存事業の経緯が明らかにされました。東京の史蹟保存事業は1900年前後に始まり、国レベルの保存事業と並行して行われたものでしたが、1919年に制定された「史蹟名勝天然紀念物保存法」のもと、調査・保存がすすめられながらも、関東大震災と復興事業、都市開発にともなう史蹟破壊の危機にもしばしば直面しました。近代以降に整備された史蹟は、近世の「名所」と重なる部分はありつつも、異なった価値認識のもとに成立していました。史蹟の物質的要素に学術的・文化的価値が見出されたことで、古墳・貝塚が史蹟として加えられ、建造物に江戸の特色が見出されるようになりました。また、多数の墓・旧宅・学塾・事件跡などが指定・仮指定・標識されたものの、風教に資するか否かで序列も生じました。また、モノのない史蹟や伝説地は保存法の対象とはなりえず、該当する場所に標識をつけ、記録するという形がとられました。幕末・明治期以降の史蹟がナショナリズムの観点から重視されました。以上、東京の史蹟保存事業の特徴として、墓の多さ、モノのない史蹟への「標識」などの扱い方、幕末・明治期史蹟の多さは東京の特徴である可能性が指摘されました。東京の史蹟保存事業には東京市公園行政の関与、江戸回顧志向、掃苔文化との関連も重要な論点です。斎藤氏の発表に対し、人文地理学の米家志乃布氏が、東京の史蹟地図を示し、名所の分布と同様に史蹟の分布に空間的な偏りがみられることを指摘し、この空間分布は当時の人々の価値認識の結果であるとコメントしました。

 栗生はるか氏による発表「ご近所のぜいたく空間“銭湯” 現状と可能性」では、江戸から継承され近代に発展した東京の銭湯が、近年消失の危機にあるという現状をふまえ、豊富な事例をもとに、消えゆく銭湯をどのように保存、維持していくかという極めて現代的な問題が投げかけられました。栗生氏(建築 都市研究)は「文京建築会ユース」として、文京区の魅力の掘り起こし・共有・継承に関する実践的な活動を行った経験から、特に銭湯を「多世代共生」「地域の生態系」の核として評価しています。戦後の全盛期(昭和40年頃)東京で2600軒以上あった銭湯は現在では500軒と激減し、現在も経営維持のために様々な試みがなされているものの廃業に追い込まれる銭湯も多いことが述べられました。具体的な銭湯の保存活動を通じ、まちの文化資源である銭湯の価値(地域の防災拠点、コミュニティの場等)が十分に認識されることの必要性や、観光客をひきつける新しい名所としての可能性が示されました。そのうえで、人々の日常生活に密着していた銭湯が「非日常的なぜいたく空間」として位置づけられることで新名所となり得ること、生活者と地域外の人をともに惹きつけるバランス感覚が必要であることが述べられました。岡村民夫氏(文学 表象文化論)からは、銭湯にとって温泉の情報発信が参考になるだろうというコメントや、夏目漱石による日本近代温泉文学・銭湯文学の発祥地として文京区を位置づけるなど、物語を活用して銭湯の文化的価値をアピールしてはどうかというコメントがなされました。

 東京は極めて変貌が著しい都市であり、歴史ある名所が保存される一方、時代に即した新名所も作られています。過去の名所のあり方に学び、新たな名所の創出方法にまで話が広がり、有意義な議論をかわすことができました。(横山泰子)

ページトップヘ