基調講演:北川フラム(アートディレクター、㈱アートフロントギャラリー代表取締役会長,福武財団常任理事)
「地域型芸術祭のいま?!~社会のインフラとしてのアート~」
講演:高田洋一(彫刻家、美術家)
「パブリックアートの制作現場から―作品との新しい出会い方」
講演:藤井匡(東京造形大学准教授)
「パブリックアートのつくる公共性」
講演:荒川裕子(法政大学キャリアデザイン学部教授)
「パブリックアートの受容のありかたをめぐって」
パネリスト
岡村民夫(法政大学国際文化学部教授)
岩佐明彦(法政大学デザイン工学部教授)
岩井桃子(キュレーター)
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北川フラム氏は、パブリックアートのメッカ、ファーレ立川を企画したアートディレクターであり、その後地域型芸術祭「大地の芸術祭」(新潟越後妻有)や「瀬戸内国際芸術祭」などでも総合企画を行っている。以下が基調講演の内容である。
米軍跡地が日本に返還され、パブリックな空間をどうするかという大きな都市計画の試みの中で、立川駅の北側に11棟のインテリジェント・ビルが建設される。そこにイベントを行う場所をどう組み込んでいくかという企画のコンペがあった。そこで提案したパブリックアート群がファーレ立川で、1994年に完成した。多様な価値観としてアートをここに設置するというのが主目的であったが、街歩きとしての楽しさが味わえるような企画を心した。ここにファーレを守るファーレ倶楽部という市民の会ができて、清掃をしてくれるし、毎年のように様々なイベントも行うし、また学校も教育現場としてファーレを取り込むし、ということでファーレがコミュニティを形成する一助となり、かつコミュニティに守られる存在となり、こういうのがパブリックアートの役割であると考えている。
ただし、都市でのパブリックアートというのは、限界があると考えている。それは都市が均質空間になってしまっているからであり、ここではもうパブリックアートを作り出すということがかなり厳しくなってしまっているのではないか、という思いがある。それで、ここのところは、田舎でのパブリックアート企画に力をいれるようになってきた。都市の均質空間や共通体験のなさに代わって、田舎ではもうちょっと強い時間が流れ、そこにさまざまなコミュニティの物語がある。例えば瀬戸内の大島というところは、ハンセン病の病院と隔離施設があったところで、彼ら自身の体験を伝えるようなアート展示を行っている。そういうものを拾っていくことで、更に地域の壁を越えたコミュニケーションが成立してくるのではないか。そしてさらにアートがコミュニケーションを生み、人々をつなげていく力をもつのではなかろうか。
例えば、地域的な生活格差があり、その間を大変車線の多い高速道路が走っているというところがミネアポリスにあったが、その間を人が2人やっとすれ違えるような歩道橋を作ることをアーティストが提案した。この場所を通行する人は、対面で来る人を無視できない。声をかけることで、両コミュニティの間に知り合いが増え、コミュニケーションが成立するようになった。これなどはパブリックアートの傑作ではないだろうか。
また、途上国の開発にもアートを利用しようという動きがある。スリランカの東岸のいくつかの地域コミュニティを巻き込むアートプロジェクトの公募が世界銀行によって進行中である。やはり工場を作り続けるのではなく、第一次産業とか、育児とか健康とかをベースにして開発も考えていこうということではないかと思う。日常的自然というのを重視するのが氏の立場である。
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パブリックアートの作家(美術家、彫刻家)である高田洋一氏の講演は、さまざまな作品を見せていただける楽しい講演であった。高田氏は、竹や和紙を素材として、空気の動きで微妙な動きを見せる動くアートを制作していたが、やがて注文に合わせて80年代の半ば頃から、公共空間にアートを提供することを始めた。工業化社会の専門化、分業化の流れの中で、それらをアートのモノづくりによって横につなぎ、日本の工業技術に、改めて「クラフトマンシップを復権」させるという野心を抱くに至り、パブリックアートの分野へ足を踏み出していった、と語る。建築家とのタイアップが欠かせず、さまざまな建築条件をクリアしつつ、職人、工場、材料メーカー、構造設計者、注文主、建築家、造園家などとのバトルを繰り広げながら完成に辿り着く醍醐味について熱く語る氏の表情は明るく、実際の作業現場のビデオには喜びの笑顔があふれる。作品は日本社会の実力の現れでもあるという。
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藤井匡氏は、美術館の学芸員を務めた後、現在美大で彫刻を中心に美術史・美術評論の研究を行っている。過去50年間に公共空間で行われた美術活動を、野外彫刻、パブリックアート、アートプロジェクトという一連の流れとして考えるという立場をとる氏の著作に『公共空間の美術』がある。パブリックアートは主としてバブルの頃に都市の再開発が行われるという流れの中で都市のあちこちに作られていく。一方アートプロジェクトはもっぱら21世紀になった頃から、疲弊する地方の再生というテーマの中で生じているものであるが、そこではコミュニティという意味でのパブリックがもっと強調されるようになっているのではないだろうか。アートとして、「場所の美術/空間の美術」「やすらぎの美術/にぎわいの美術」といったコンセプトを通じての分析の後に、パブリックアートとは、人々に愛されることが必要であるという結論に辿り着く。その点で北川氏の考えとも通底するところがあるのではなかろうか。八王子では駅周辺のパブリックアートを自発的に清掃する市民集団ができているそうである。
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本学キャリアデザイン学部で美術史とアートマネジメントを講じている荒川裕子氏は、パブリックアートを巡る大学生参加の授業の試みについての報告であった。学生アンケートに取り組んだ実例から始めるが、学生にとってパブリックアートとは、彼らにとっての関心を呼んだものである。おおよそ学生の40%は知らないと答える。名前を挙げてもらった中には、アートとしてどうか、というものも多く含まれる。たとえば、新宿のLOVEとか神戸のBE KOBEなど、またパブリックアートブランドとしてよく知られた岡本太郎作太陽の塔といったものが出てくる。彼ら自身の心象風景なのだと思う。またその意義を訊ねると、気軽に無料で楽しむことができるという答が返ってくる。パブリックということに関しては、お上のすることというよりは、公共の役に立つといったことを考えているようだ。ただファーレ立川のことになるとあまり知らない学生が多く、知るようになると好きになり、もっと他の人に伝える活動をしたいということで、若手ミュージシャンにパブリックアートの前で演奏してもらい、ミュージックビデオとしてyoutubeで発信する試みを行った。また立川紹介のガイドマップを作ったりもしている。パブリックアートを刺激としてゼミ活動が広がっていた事例として紹介された。
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パネリストからのコメントが入り、活発な討論が行われた。すべて書き出すことはできないが、いくつかかいつまんであげておきたい。岡村氏は、ファーレ立川と越後妻有の違いについて、妻有の方が、地形をうまく生かすことができているのではないか、との指摘があった。岩佐氏からは、コロナ後のパブリックアートの可能性について質問が出た。北川氏はこの質問に関してはネガティヴであった。というのはコロナ問題の評価はコロナ終息後すぐには出ないから、ということである。また岩井氏は、作家の仕事に大変興味をもち、パブリックアートの制作には多くの人々が関わって、なかなか完成品からは分からない協業努力の側面が大変興味深かったとコメントした。それぞれの講演者が制作現場や研究過程におけるコミュニティとの関わりについての質問が出た。
(文責:山本真鳥)
高田洋一氏,藤井匡氏,荒川裕子氏の講演動画を公開しています。
高田洋一氏講演「パブリックアートの制作現場から―作品との新しい出会い方」
藤井匡講演「パブリックアートのつくる公共性」
荒川裕子講演「パブリックアートの受容のありかたをめぐって」