シンポジウム・研究会等報告

2022年2月28日 シンポジウム「東アジア近世・近代都市空間のなかの女性」開催報告

  • 更新日:2022年05月16日

シンポジウム「東アジア近世・近代都市空間のなかの女性」

開催日:2022年2月28日(月)
会場:Zoomによるオンライン開催
参加者数:74名

 本企画では,都市の経験はジェンダーによって異なることを前提に,それを女性が書き手としてどう記述したか,また文芸にどう描かれたかという両面から考察した。対象としたのはジェンダー規範の相違が大きかった近世~近代の文芸である。昨年実施した「漢陽と江戸東京」シンポジウムの取り組みを発展させ,この課題を東アジア都市との比較において考察することによって,それぞれの特徴とともに共通点を浮かびあがらせることを企図した。
 午前・午後3つのパネルで,あえて国別にせず課題意識を交錯させることを試みた。

Ⅰ「身分・規範と都市」では2つの報告がなされた。山田恭子氏(近畿大学)による「朝鮮後期女性詩人の特徴とその周辺環境」では,婦徳を求める社会の規範と折り合いを付けつつ政権中枢に近い家系を中心に多くの女性漢詩人が輩出,母娘揃って詩集を出した例もあったこと,ソウルでは詩社が結成されてそこでは才能ある妾たちが集って詩作を行った例もあることが報告された。続いて仙石知子氏(二松学舎大学)の「明清小説のなかの女性」では,士庶に属する女性と賤??の身分におかれた娼妓では,求められる貞節が異なっていたこと,そのうち後者は都市特有の存在で,都市においては貞操規範に揺らぎが生じていたことが『三国志演義』や白話小説集『喩世明言』の一話を取りあげて論じられた。ディスカッサントの横山泰子氏(法政大学)の質問に対して,山田氏から朝鮮の女性たちは外出の機会が乏しく都市の風景描写はほぼなかったこと,仙石氏からは中国には女性の詩人はみられるものの散文の作家の記録はないことについて応答があった。

Ⅱ「都市の可能性」では3つの報告が行われた。岩田和子氏(法政大学)「訴えに行く女性たち―清代唱本の一側面―」においては,夫の無念を晴らすべくその妻と娘が都市へ訴訟に出るという四川の語り物『滴血珠』が人気を博し,広く展開されたことが論じられた。ここでは都市が正義や公正を手に入れる場として描かれており,実際の社会でも女性が公の場に出ることへの忌避という社会規範を超えて女性の訴訟が広がっていたとする研究も紹介された。小林ふみ子(法政大学)「江戸へ奉公にゆく娘―「婦人亀遊」の戯作から―」では「婦人亀遊」と署名する作者が男性による偽装とされることを疑問視,その作『世之助噺』が定番的な枠組みの外側に付した女性の物語から起筆するなどから女性と考えられることを前提に,都市を女性が危険にさらされる場と描きつつ,戯作という都市文化に手を染めていることを指摘した。高永爛氏(全北大学校)「朝鮮古典小説『雲英伝』の宮女と漢陽―欲望の都市ソウルを中心に―」は,街並みを具体的な舞台背景にした作品群を論じた。才能ある女官が集い,女性の行動規範の厳しい朝鮮にあって通行禁止が解除される日がある,都市構造の複雑さなどの要因が絡みあって女性の主体的な恋愛を描く小説が可能になったこと,都市の華やかさを背景に経済的な打算も働くさまも描かれたことも紹介された。ディスカッサントの染谷智幸氏(茨城キリスト教大学)からは,それぞれに裁判小説の系譜のなかの位置づけ,少ないながらも他の女性散文作者の存在,朝鮮小説の中国作との区別の難しさなどが指摘され,議論の展開の方向性が示された。

Ⅲ「女性が描く近代都市」では2つの報告があった。呉翠華氏(元智大学)「清末民国初期台湾女性の都市―『楊水心日記』にみる―」は,伝統的な教育を受けた有力者男性の妻としての女性の経験を綴った日記から,積極的に外出し,婦人団体の活動にも参加した外交的な姿を描出した。藤木直実氏(法政大学)「百貨店文化と女性作家―森しげ,与謝野晶子の『三越』掲載作品を中心に―」は,『三越』はじめ百貨店発行の雑誌において『青鞜』同人でもあったような女性作家たちが起用され,販売戦略を推進するモデルとしての役割を果たす結果になった一方で,その作品では不倫や同性愛的行為などそこで理想化された近代家族からの逸脱も同時に表現される一面もあったことを論じた。ディスカッサント・中丸宣明 氏(法政大学)はいずれにおいても近代家族の典型が描出されていることを指摘しつつ,しかしなぜそこからの逸脱が描かれるのかという問題提起がなされた。

総合討論ではまず,大木康氏(東京大学)より,女性には身分・地位の問題が大きく,とくに娼妓は都市的存在であること,妾の位置づけの社会による違い,都市は農村とは異なり不特定多数の男性との接触がある場で,中国では主張する都市の女性が描かれる傾向があることなどがコメントされた。最後に田中優子氏(法政大学)より,日本では韻文を中心に非常に多くの表現者がいた一方で,裁判の物語は乏しいのは騒動の決着方法が異なること,『青鞜』が消費文化のなかにあったことの影響力の大きさなどが指摘され,その後さまざまな討論が行われた。社会規範によって違いも大きい一方で,都市ではその制約から脱した行動が可能になり,文化資本へのアクセスによって文化の生産に携わる機会が得られるなど,女性にとって共通する都市の意義がみえてきた。男性にも同様の部分はありつつも,規範の縛りが大きい分女性にとってはその意義は大きいことが見えてきた1日であった。(小林ふみ子)

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