シンポジウム・研究会等報告

2022年5月7日 研究会「東亰(Tokei)―東京(Tokyo) 原風景の光景」開催報告

  • 更新日:2022年05月30日

開催日:2022年5月7日(土)
会場:法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見ゲートG201教室(オンライン併用)

 法政大学文学部地理学科を1978年に卒業し、本年3月に東京造形大学を定年退職された市川在住の写真家・中里和人(なかざと・かつひと)氏に、その三十数年にわたる「写業」を「東京」というアングルから振りかえっていただいた。最新写真集『URASHIMA』刊行(5月22日)のプレイベントでもあった。

 1980年代の東京湾岸再開発の過程で、幕張や浦安の埋立地に新たな葦原や地図に未記載の人工渚や道路が出現した。そうした不思議な場所が野鳥や若者たちの「つかの間の楽園」となったさまを記録したのが、第一写真集『湾岸原野』(1991)だったという。

 その後、セルフビルドの小屋の存在感に感動した中里氏は、ベッヒャー夫妻の「タイポロジー」という方法論を応用し、日本各地の小屋を、立地を入れ込んだ「肖像」として撮影してゆき、2000年に『小屋の肖像』を刊行した。そして同年、この仕事に着目した「向島ネットワークス」(アートによって墨田区向島の活性化しようとするイベント)のメンバーから誘われ、向島に出会い、以後そこが彼の重要なフィールドのひとつとなった。向島エリアでも特に路地が迷路状に入り組んだ京島で住民と交流し、空き長屋や空き工場でのインスタレーションをした成果は、文筆家の中野純が文章を書いた『長屋迷路』(2004)や、日本各地の路地写真を収録した『路地』(2004)にまとめられた。そこでは路地をフレームとした「路地景」が重んじられている。ちなみに中里氏によれば向島と沖縄の路地は「迷路感のある路地の両横綱」である。

 やがて向島での撮影の重心は、旧赤線地帯の「鳩の街」や、かつて日本経済の発展を底辺から支えた小工場が密集する八広へ移り、それらの写真は『東亰  TOKEI』(2006)に集められた。時空を超えて今もある過去としての「もうひとつの東京」という意味で、明治初期に一部の東京人が用いた「東亰」が写真集のタイトルとなった。

 現在、中里氏は鐘ヶ淵駅周辺の路地や隧道に注目しているそうで、講演の最後に、この地区を含む向島エリアをトイカメラで撮った動画作品『向島クルージング』(すみだ向島EXPO2021参加作品)が上映された。
 中里氏いわく、「向島は植物園です」(向島百花園を抱えた向島そのものが植物園なのだ)。見せていただいた路地写真には、敷地からはみ出した樹木やサボテン、路上に並んだ鉢植えなどがじつに生きいきと写っている。講演では、行政が問題視するこうした大らかな園芸やそれがもたらす内/外の曖昧化こそ「日本式ガーデニング」として今後の参考になると思うと語られた。また、路地の魅力は、都市のなかでくつろげる「淀み」や「揺らぎ」をなしているところにあり、そこには今後の心地よい町づくりにとって参考になるものがいろいろ潜んでいるはずだとも。

 

 コメンテーターの米家志乃布氏(地図史)は、田地だった江戸時代から、隅田川と荒川放水路のあいだの工場・宅地地帯となった昭和初期をへて、再開発が進行中の現在までの向島の変遷を、数枚の地図を通して明示し、向島の路地が故郷の三重県の農村(多気町)や昭和30年代の松坂・鳥羽などからなる自分の「原風景」を喚起すると中里氏が述べたことが、歴史的に裏づけられた。

 

 もう一人のコメンテーターの山本真鳥氏(文化人類学)は、『東京サイハテ観光』(中里/中野純、2008)のトンネル写真も含め中里写真が、東京の西の「境界」と異質な東の「境界」の魔力を捉えていると指摘したうえで、『湾岸原野』では写っていた人間がその後消えたのはどうしてかと質問した。小屋や町の景観だけで人間の気配が雄弁に表現できると感じたからという回答だった。

 

 昭和初期に永井荷風は新興の街だった墨東の迷路的路地や荒川放水路沿いの葦原に懐かしさを覚え、戦後は市川から向島や浅草に通った。コーディネーターで司会の岡村民夫(表象文化論)は、中里氏の仕事から荷風を連想したと感想を述べ、路地やセルフビルドの小屋を主題としている点や、住民をほとんど写さずに生活誌となっている点にウジェーヌ・アジェの写真に通じるものを感じるが、アジェをどう思うかと質問した。なんと法政卒業後、印刷所で働いていた際に中里氏はアジェ写真を知ったのが写真の道に入るきっかけになったとのこと。そういえば、中里写真にはほのかにシュルレアリスムの香りも漂っている。

 狭義の功利性や記号的認識からは捉えられない東京のへりの隠れた魅力を中里和人氏が一貫して表現してきたこと、しかもその表現活動を通し下町コミュニティの活性化に貢献してきたことがよくわかり、江戸東京センターとしてじつにふさわしい研究会となった。東京の湾岸部と隅田川以東がクローズアップされたので、昨年度の「テクノロジーとアート」主催のシンポジウム「都市の表象文化 アニメ・特撮における東京」――都心と西の郊外が焦点となった――を補完することにもなった。(岡村民夫)

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