江戸東京研究センター紹介

設立にあたって

江戸東京研究センターと法政大学のブランディング

このたび法政大学に、「私立大学研究ブランディング事業」として江戸東京研究センターが発足しました。このセンターの発足は、法政大学にとって大きな意味をもちます。

まず第一に、大学全体のブランディングと、このブランディング事業とを、一体化して進めることができる、という点です。2014年から長期ビジョンHOSEI2030のもとで本格的に開始したブランディングは、大学憲章の制定、それにともなう新たなミッション・ビジョンの策定、ダイバーシティ宣言などを次々と展開し、教職員によるブランディング・ワークショップを実施しながら、次の時代の法政大学のイメージを作り続けています。その過程におけるブランディング事業の立ち上げは、大学全体に確実に寄与します。

第二に、このブランディング事業は法政大学における研究の歴史に根付いたものであり、その意味で、成功する可能性が高い、ということです。法政大学の江戸文化研究の歴史は長く、戦前から戦後にかけては近藤忠義が、その後は廣末保、松田修が担ってきました。1980年代には、イタリアの建築史・都市史の研究者である陣内秀信が江戸東京学でも活躍し、さらに田中優子の江戸学が始まりました。陣内秀信は水都の研究で、法政大学エコ地域デザイン研究センターを育て、田中優子は国際日本学研究所において、横山泰子、小林ふみ子とともに、江戸文化・江戸文学研究を推進してきました。このたびのブランディング事業は、その法政大学エコ地域デザイン研究センターと国際日本学研究所の連携による「江戸東京研究」の発足なのです。

法政大学 総長(設立時)
田中 優子

第三に、この事業が工学系と文化系の結合による事業だということです。法政大学では、デザイン工学部をはじめ、理工系、生命系、情報系の研究者が活躍してきました。もちろん、法学、政治学、文学、哲学、歴史学、考古学、経済学、社会学でも、多くの高名な研究者が活躍し、江戸東京に関わる研究もおこなわれてきました。多摩キャンパスにおいては、「多摩の歴史・文化・自然環境研究会」が、長年にわたって重要な研究を蓄積してきました。

しかし江戸文化研究ひとつとっても、それぞれが個々に学内外で活躍しているのであって、分野が結合して法政大学独自の流れを作る、ということに至っていません。研究拠点という場は、ひとつには学外の研究者たちとの交流の場として意味がありますが、もうひとつには、学内で個々に動いている研究者たちがその場を共有することで、新たな研究の枠組みを生み出すことに意味があります。さらに、より広い社会や産業界の人々と組んで、産業や都市づくり、新たな社会の仕組みに寄与する可能性があります。

江戸東京研究センターはこのように、結びつき、交流し、ともに創造する場としての拠点となることを目標にしています。「水都―基礎構造」「江戸東京のユニークさ」「テクノロジーとアート」「都市東京の近未来」という4つのプロジェクトが立ち上がっていますが、それぞれが単独に研究を進めるのではなく、テーマを掲げて、すべてのプロジェクトがそこにかかわる方法を理想としています。その結びつきが、学外からの参加に扉を開く土台になるはずです。

法政大学は2019年度後半に、「法政大学ミュージアム(仮称)」を開館する予定です。このミュージアムは大学所蔵の「もの」や資料やデジタル・アーカイブを使って、付属校を含めた6キャンパスをつなぎ、キャンパス内の様々な空間をつなぎ、各研究所をつなぎ、各学部と分野をつなぎ、教職員相互をつなぎ、学生、生徒、入学志望者をつなぐ働きをめざしています。江戸東京研究センターも、その時点までに進めた研究を、ミュージアムにおける展示、公開活動に積極的につなげることで、ブランディングに大きく寄与するに違いありません。

江戸東京研究センターが、法政大学と、江戸時代研究と、東京の未来を拓く役割を果たすことを、心から願っています。

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